2011年11月29日火曜日

ナバナの里

11年11月16日

祭り日

「ひこばえ」20号より

捕らわれて脱出叶わぬ蟷螂は虫かごの隅に卵産み付く

我が家にて餅搗きくれるご近所ら独りの身にも明日は祭り日

コスモスにカメラを向けて覗いても知らぬふりしてただ揺れるだけ

七十の手習いの書を披露せば上手上手とみな褒めくるる

夕日浴び光る雲の嶺よぎるのは増えし川鵜の黒き編隊

逝きし友

「ひこばえ」19号より

友逝きて信者ら送る讃美歌にわれも唱和す夜の教会

涙して孝行足りずと挨拶す長兄の声母に届くか

アグネスとう洗礼名を頂きて天に召さるる友の魂

赤トンボ飛び交う空の気は澄みてひととき我の脳は藍色

わが見立て百歳保証のかの媼八十にして病を知らず

トンボ

「ひこばえ」18号より

音信の途絶えたる元同僚ら次々電話で台風見舞

想像を絶する雨を叩きつけ神々の住む山を破壊す

山にても津波の力彷彿と命はぐくむ水も怒れば
        ―平成二十三年十二号台風―

滝昇る遺伝子を持つ鯉の稚魚水槽飛び出し死のダイビング

驟雨去りわずかに濡れし舗道にてトンボの番産卵しきり

FUKUSHIMA(フクシマ)

「ひこばえ」 17号より  

夏の宵銀河横たう黒き空明くれば紺碧白き雷雲

往時には汗する人らの焼酎が一升瓶でわが卓にあり

FUKUSHIMAは怖ろしき地を代名す
世界語となりしTHUNAMIと並ぶ

目高らは頂きし餌を喜びて感謝のまなざしわれに向けいる

老い友は飼いし鰱(たなご)を分けくれる少年のころとなにも変らず

2011年7月1日金曜日

小さき命

原発は怖ろしき毒撒き散らし為政者どもは政争の日々

冬を越し生きてようやく春迎うたかが目高の小さき命

牛蛙われの気配に感づきて傍若無人の恋の歌止む

歌づくり「鯉」と打たんと変換に「恋」と表われ暫し眺むる

足焦がす玉砂利踏みて飛び込みし遠き紀の川夏のきらめき

TSUNAMI(ツナミ) その三

歌の題「メルトダウン」としてみるもその言の葉に心が竦む

駄々をこね暴れ放題の原発に政治家どもは権力争い

海人の命と生計(たつき)奪いしはクラーケンとう魔物の仕業か

目覚めては窓開け放つ鯉は無事五月さわやか津波も来ない

鉄線は濃い紫の一輪を何もない朝開きて誇らし

TSUNAMI(ツナミ) その二

災害は政争の具となり被災地を訪(と)う為政者のなにやら空し

流されし四十余万の自動車にチャイルドシートも積まれしままに

わが池に青鷺来ぬは巣作りか地震に避難の家族かなしき

戴きし皇帝ダリアを植えました二〇一一ツナミの春に

おおいぬのふぐりの群は風にゆれ夏の訪れ律儀に告げる

TSUNAMI(ツナミ) 

世界語となりし「ツナミ」は名づけたる母国に牙剥き破壊を尽くす

海神はかくなるまでになぜ怒(いか)る核を扱う民は悪いか

窓のそと春の光が眼に沁みて内のテレビは被災を映す

濁流の津波を眼下に子は父に「逃げるの」と聞き「宿題は」と問う

被災地の卒業式の映像に親を亡くせし心はうつらず

2011年3月10日木曜日


春の雪

同窓会

河岸段丘 

                      
古都に行く高速道を作らんと河岸段丘にダンプ行き交う

春まだき河岸段丘の森燃えて山にこだます数多のサイレン

友の住む河岸段丘雨模様紀の川の上青鷺がゆく

東京に住み居て浮べしふるさとは朝朝眺めし河岸段丘

雪被く構造線の山脈は河岸段丘を従えて大
          

2011年2月23日水曜日


山茶花

当麻寺

奴凧揚ぐ

 
元日を孫と連れ立ち誰も居ぬ広き河原に奴凧揚ぐ

水槽に入れしヒーター壊れいて死にし稚魚らに声にして詫ぶ

悪夢より目覚めし朝に窓を開け雪雲覆う嶺を眺むる

厳冬の高野に登る遍路らの吐く息白く笠に雪乗る

新年の歌会の記念写真には幸せに満つ顔の居並ぶ

2011年1月26日水曜日


老柿

山茶花

わが猫

   

寒風の河原に捨てられ泣いていし子猫は今や何喰わぬ顔

わが猫と同じ家屋に起居せるに互の愛憎共にして生く

昼夜なく戸を開けさせて出入りする猫は忠誠試すかのごと

車椅子の友の膝にてくつろぎて目を閉ず猫に微かな嫉妬

鳥を獲り蛙捕らえて得意げにわれにさしだす猫の哀しき